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宮下 洋子
サイコム・ブレインズ株式会社
ソリューションユニット コンサルタント
今、Learning & Development(L&D)の領域ではIT業界からの新規参入が加速しています。テクノロジーによる人々の学習のあり方の急速な変化は、従来からあった「Learning Transfer」、つまり「学習の業務への移転とパフォーマンスの向上をより迅速に行うべき」という考えをより強力に推進する原動力になっており、今年のATD国際会議でもその傾向を強く感じました。前回の基調講演のレポートに続き、今回はAIに象徴されるテクノロジーの登場によって、個人や組織、仕事や学習のあり方、そして我々のようなL&Dプロフェッショナルの仕事に現在進行形で起きている変化について、レポートしたいと思います。
追求すべきは「テクノロジーに強いリーダー」?、それとも「人間にしかできない価値を持ったリーダー」?
L&Dにおける新たなプレイヤーの代表として、LinkedInやUMUとともに必ず挙がるのが、個人ごとに最適な学習コンテンツのキュレーションを可能にするプラットフォーム開発で知られるDegreed社です。DegreedのCLO(Chief Learning Officer)であり、YahooのVice PresidentやLinkedInのCLOを歴任したKelly Palmer氏によるセッション、『The Skills Quotation:An Easy Formula for Closing the Skill Gaps From Inside Your Organization』において、彼女は「5年以内に労働力の4分の1が機械と入れ替わる」という調査会社のレポートを紹介しながら、次のようなことを示唆しています。
- 特定の職種に必要なスキルセットが機能するのは約3年。採用時にはフィットしていたスキルもすぐに意味がなくなってしまう。
- だから毎日新たなスキルを学び続けなければ生き残れなくなる。
- 組織内のキャリアにおいて多様なオプションを持てるよう、複数の専門性を開拓していかなければならない。
その他にも多くのセッションで、「AI市場は2021年までに$48.5billionに」あるいは「80%のカスタマーサービスがAIエージェントに置き換わる」など、AIが近い将来ビジネスに与える影響の大きさが、「人々の学習が変化する必要性」あるいは「L&Dのプロフェッショナルがそれに対応することの必要性」の背景として語られていました。また、「AIではできないことができる人材」「AIでは容易に置き換えることのできない人材」という観点では、前回のレポートでご紹介した、デジタルマーケティングの著述家であるSeth Godin氏による、「変化のドライバー」あるいは「価値が下がることないArt」という言葉に象徴されるような、いわば「AI時代の人材論・リーダーシップ論」を、様々なセッションで聞くことができました。
その一方で、現状では、「AI等のテクノロジーによる学習を推進するのは、ITの専門家」、対して「人間にしかできない全く新しい価値創造を提唱するのは、L&Dの専門家」、というような「棲み分け」がなされていて、両者の効果的な統合・掛け合わせを議論する段階には至っていない、という印象を受けました。e-Learningの大家であるElliott Masie氏は、セッション『Learning Changes: Trends, Challenges, and Hype』において、「ビジネスに比べると、L&D業界へのAIの適用は遅れている」と指摘しています。確かに、学習コンテンツのキュレーションの事例を見ても、その多くはあくまで学習者自身が学習の目的、コンテンツの内容、報酬(学習の結果何ができるのか)を明確に認識できるもの、業務遂行やキャリアップに関するスキルに限定されている印象があります。
この点に関し、昨年に引き続きサイコム・ブレインズが企画した現地勉強会のラーニングリーダーである八木洋介氏は、次のような趣旨のことを示唆しました。
- 現状では、IT技術者とL&Dプロフェッショナルのそれぞれが、違う視点・ロジックを掲げていて、互いに歩み寄っていないが、来年はもっと協働したアイデアが見られるのではないか。
- テクノロジーや脳科学といった新たな知識は、使わないと遅れるが、信じ込んではだめ。すごくパワーがあるからこそ、テクノロジーに使われず、内容やその限界は何か、何の為に使うのか、どんな人材を育てたいかをおさえること。「競合に圧倒的に勝つ」ために、テクノロジーを使ってなにかとんでもないことができないか、とクリエイティブに考えることが必要だ。
L&D領域におけるプレイヤーが多様化していくことで生まれる、全く新しいシナジーやプラクティスに強く期待したいところです。
ブロックチェーンが示唆する、組織と個人/仕事と学習の近未来
L&Dにご関心のある方にとっては、「リスキル(Reskill)」という言葉は既にご存じかと思います。これは、昨年のATD国際会議で議長のTara Deakin氏が発信したことで注目されるようになったキーワードです。デジタル・トランスフォーメーションによって人々の労働が変化し、必要なスキルも再定義される。変化に対応するための知識やスキルが不足しているのではないか。それはL&Dプロフェッショナルにとっても同様であり、そうした人材を育成するための知識が欠けているのではないか。そのような警鐘として受け止められました。そのような労働の変化と学習の変化の潮流を、より具体的に感じることができたのも、今年のATD国際会議の特徴ではないかと思います。
ブロックチェーンというと、多くの方は「ビットコインのプラットフォームを支える技術」というイメージをお持ちではないかと思いますが、ブロックチェーンによる学習プラットフォームも存在し、現在では約50あるのだそうです。そのひとつ、「Start a Career & Learn to Earn」を掲げたBitDegreeは、企業がスポンサーとなって個人に特定のスキルを学ぶためのスカラシップを与え、個人はオンラインコースでそのスキルを習得し、そして企業は特に学習パフォーマンスの良かった人に対して仕事のオファーを出すこともできる、という仕組みです。現在はプログラミングやデータサイエンスなどのIT系のコースが中心となっており、全世界で6万人以上の学習者がいます。
企業にとっては、人材の獲得競争が激しい状況であっても、個人に学習を提供することで欲しい専門スキルを持った人材を獲得できる。個人はコースを修了すると、仮想通貨をベースとしたトークンを獲得して、そのトークンでさらに他のコースを受講でき、さらに仕事のチャンスまである。さらにオンラインの学習コンテンツのベンダーにもビジネスチャンスがある。このプラットフォームに関わるすべての組織と個人の間に、Win-Winの関係が成り立つわけです。
学習者をいかに動機づけるかというのはL&Dの大きなテーマですが、「これを学べばこの仕事ができる。この職を得ることができる」というのは、よく言われる「上司の励まし」や「報酬」といった要素以上に、学習者にとって非常に直接的でわかりやすい動機ではないでしょうか。そのような動機が、L&D領域の既存のプレイヤーではなく、やはり新規参入のテクノロジーの側から提示される時代になったこと、そして、このようなプラットフォームを介して人材市場が国を越えて一つにつながっていく近未来を、生々しく感じることができました。
もう一つ、労働と学習の関係性について考えさせられたセッションが、Accenture社によるセッション、『Accelerating the Future Workforce: Rapid Reskilling』でした。このセッションでは、“New Skilling Model“という、将来のワークフォースを考え直すためのモデルが紹介されました。
このモデルは、「Buy(採用)」や「Build(育成)」といった時間やお金がかかる方法だけでなく、「Borrow(外からもってくる)」「Bot(AIや自動化で代替できないか考える)」も含めて、組織の人材のReskillを多角的な観点から行うべきだ、という考えに基づいています。セッションでは、Accentureのクライアントがこのモデルによって大幅な人件費削減に成功した事例、また「Borrow」の事例として、個人が自分の関心やスキルレベルをもとに入るプロジェクトを選び、複数の専門性をもった小さなプロジェクトチームで仕事が行われている組織の事例が紹介されました。
働き方の多様化、学習の個別化、労働のBot化の中で、L&Dのプロフェッショナリズムにも転換期が訪れている
DegreedのようなIT企業による学習プラットフォーム、そして今年も数多くの関連セッションが行われた「マイクロラーニング」が注目される背景としては、Personalization、つまり「学習の個別化を促進すべき」あるいは「学習者個人のニーズやモチベーションに対応しなければ、パフォーマンス向上につながる学習は起こらない」という考え方があります。また、ネット検索をするように仕事に必要な学習を即座に得たいと考える傾向の強いミレニアル世代の学習者の特徴が、この潮流を後押ししたといわれています。
一方で、今後の組織はテクノロジーを積極的に活用しつつ、必要なスキルをもつ人材を最小限のコストと労力で得る方向性を強めていくと思われます。前述のAccenture社による「New Skilling Model」でいうところの「Borrow」「Bot」が増え、「Buy」「Build」が減る。組織に属さないフリーランサーがプロジェクトごとに集まって仕事をするスタイルが増加する。そのような中で、L&Dは学習のためのプラットフォームやコンテンツを整備し、時間と手間・費用をかけて人材を育成することに、果たしてどこまで取り組むべきでしょうか。組織内の人材一人ひとりに対する学習支援の取り組みは、企業の成功や生き残りといった目的のために、どこまで効果的なのでしょうか。
また、現在提供されている学習プラットフォームの中には、個々の学習者に対するコンテンツのキュレーション、レコメンド、あるいは学習者どうしのSocial Learningだけでなく、AIによるパフォーマンスの評価、次世代の経営者候補の選定、目指すキャリアロードの示唆、といったタレントマネジメント的な要素をカバーするものまで登場しています。ゴールを明確に設定しさえすれば、現状とのギャップを埋める最適なオプションを提示する能力は、今後AIの方が人間よりはるかに高くなっていく可能性があります。では、その「ゴール」を特定する力、八木洋介氏の言葉を借りれば「組織を勝たせるために何をすべきか?本当にそれで勝てるのか?」を考え抜く力、あるいはSeth Godin氏のいう「変化のドライバー」となる少数の人材を特定し育成する力については、どうでしょうか。
今、L&Dには組織内の人材の学習をクリティカルに考える力と、個々の学習者には見えないかもしれないゴールを、広く長期的な視野から示し、学習者をコミットさせる力が求められていると強く感じます。最終日に参加したセッション『Shaping the Future of the Profession: The 2019 ATD Competency Study』では、ATDアワードを今回含め複数回受賞しているElaine Biech氏などL&Dの大家から、組織の方向性を「川」、L&Dの取り組みを「橋」にたとえ、次のようなメッセージとして表現しました。
- すでに我々が架けてきた橋とは違うところを川が流れている。我々は新たな川に橋をかけ、ワクワクするような未来をつくって、彼らを連れていかなければならない。
- ビジネスを、そしてリーダーたちを動かしているのが何かを理解し、L&Dの専門用語でなく、彼らの言葉で語って納得させなければならない
- トレンドが未来をつくっていくのは確かだが、同時に「変わらないものは何か」を考え、広い視点を持たなければならない
アメリカに代表されるL&D領域における長く深い取り組みと発展は、IT系企業を中心とする多様なプレイヤーの急速な参入により、大きな転換期を迎えていることを、今回のATD国際会議であらためて強く感じました。